Masuk* * *
それからシルヴィアは森への立ち入りを禁じられ、フィオンに話しかけること、口を聞くことさえ許されず、フィオンが摘んだ薬草をリリアを通じて受け取り、黙々と薬を作り続け――ある日の夜。 居間で家族3人が幸せそうに豪華な食事を楽しむ中、シルヴィアが黙ってその光景を見つめていた時、父が重い口を開いた。 「リリアの聖姫の噂が皇室にまで届き、注目を集め、皇太子ハドリーの花嫁として迎えたいと縁談の話が持ち上がっている」 だが、ハドリーには「醜く、女遊びが激しく、そばにいる女性は3年も生きられない」という恐ろしい噂があった。 その噂は皇国中に広まっているという。 リリアは皇室の権威に心を惹かれながらも、ハドリーの恐ろしい噂に、両手を重ねた指先を小さく震わせていた。 それでも、彼女は父をまっすぐに見据えた。 「お父さま、こんな皇太子と結婚なんてしたくないわ」 リリアは、きっぱりと縁談話を拒んだ。 だが、ロレンス家は皇族に逆らえない立場にあった。 皇室に敵対することは決して許されず、避けられない現実が重くのしかかる。 継母の顔には、皇室の権力への執着と、どこか怯えたような表情が浮かんでいた。 すると、その空気を感じ取ったリリアは声を震わせながら一言付け加える。 「でも、私が縁談を断れば家族に迷惑がかかってしまうわ」 その瞬間、継母が冷たく言い放った。 「だったら、シルヴィアを身代わりに差し出せばいいじゃない」 継母の冷酷な提案に、シルヴィアは息を呑んだ。 けれども、父はきっと反対するに決まっている。しかし、甘かった。 その仄かな期待は脆くも崩れた。 「──そうだな」 「シルヴィアを身代わりとして嫁がせるよう、皇室と交渉しよう」 父の言葉に、シルヴィアの心は凍りついた。 それと同時にきゅっと恐怖と諦めが胸を締めつけた。けれど。 (例え死ぬとしても、わたしの意思で生き抜く) だが、シルヴィアの強い決意とは裏腹に、父は提案を切り出すのをためらっているのか、皇室からの使者が何度も家を訪れ、シルヴィアの心は不安に揺れ続けた。 * * * ハドリーは宮殿内の会議に出席していた。 空気は重く、騎士長たちのざわめきが広間の壁に反響し、ステンドグラス越しに差し込む光が眩しく感じられる。 その時、着席していた皇帝が深く響く声で口を開く。 「急に呼び出してすまない。光が降りてきたによっての」 皇帝の声は静かだったが、その言葉にはまるで雷鳴のような重みが宿っていた。 皇帝アシュリー、この皇国の最高地位に立ち、清めの力を超える神力を持ちながらにして、未来を映す光をも見通せることができる者。 その瞳は、まるで時を貫くように鋭く、広間に居並ぶ者たちを見据えた。 騎士長の一人が膝をつき、額に汗を浮かべながら顔を上げ、別の者は剣の柄を握りしめ、わずかに震える指で緊張を隠そうとする。 「皆、心して聞かれよ。このままでは我が宮殿が滅びる」 皇帝の言葉に、広間は凍りついた。騎士長たちの顔から血の気が引き、誰かが息を呑む音が響く。 「なんということだ!」 一人の騎士長が立ち上がり、拳を握りしめて叫ぶ。 「皇后様の聖姫の力も弱まっていると聞く」 別の者が声を荒げ、目に不安が揺れ、また別の者がテーブルを叩きながら訴える。 「何か良い策はないのか?」 苛立ちを隠せない声が重なり、広間は混乱の渦に飲み込まれそうだった。 ハドリーは黙って議論を眺めていたが、突然、椅子をきしませ、立ち上がる。 静寂を切り裂き、すべての視線が彼に集まる。彼の表情は冷たく、口元にはわずかな苛立ちが浮かぶ。 「多忙ゆえ、私はこれで退席する」 その声は低く、感情を押し殺したものだったが、どこか重圧に耐えかねるような響きがあった。ハドリーは背を向け、大広間の扉へと歩み始める。 その時、皇帝の側近が慌てて進み出た。側近の額には汗が光り、声には切迫感が滲む。 「陛下、リリアという名の聖姫がいるとの噂を耳にし、すでにロレンス家に迎えの使者を派遣しましたが、未だ返答がありません。どうすべきでしょうか?」 広間が再び静まり返った。 騎士長たちの視線が皇帝に集中し、緊張が空気を締めつける。 ハドリーは扉の前で足を止め、振り返りはしなかったが、その背中には一瞬の硬直が見て取れ、押しつけられる責任への静かな拒絶がにじんでいた。 肩のわずかなこわばり、握りしめた拳の微かな震えが、彼の内なる葛藤を物語る。責任という重い鎖が、彼の肩に絡みつくかのようだった。 そして、皇帝は静かに頷き、まるで運命を決定づけるかのような威厳を湛え、こう告げた。 「──ならば、どんな手段を使っても構わぬによって、そのリリアを我が息子ハドリーの嫁として、一刻も早く宮中に呼び寄せよ」* * * それから間もなくして、庭でハドリーによる剣の稽古が始まった。 ベルはハドリーにすぐ駆け付けられる距離で静観し、 シルヴィアは入団したばかりのフィオンと共に遠くから見守る。 「あの……」 「僕はまだ目で見て覚えろと言われている段階ですから」 「そう、ですか……」 (お互いに他人行儀な喋り方……。気まずい……) けれど、お礼は言わなければ。 「フィオン、その、殿下に精霊を飛ばしていただき、ありがとうございました」 シルヴィアは深く頭を下げる。 「頭を早く上げて下さい。ハドリー殿下に勘違いされる」 「あ、申し訳ありません……」 シルヴィアは頭を上げ、フィオンを見つめる。 「けれど、フィオンが精霊を飛ばして下さらなかったら今頃民達がどうなっていたか……」 フィオンは息を吐く。 「民達、か。本当に貴女って人は……相変わらずですね」 (呆れられてしまった…………) 「でも、そんな貴女を僕は誇りに思う。助けられて良かった」 ──あ。 (フィオン……優しく微笑んでくれた……) シルヴィアは、あの頃に戻れたようで嬉しくなるも、ぐっと呑み込み、気を引き締める。 「あの、ひとつだけ、聞いても……?」 「何?」 「フィオンはどうして騎士団に入団を……?」 シルヴィアが尋ねると、フィオンは遠くを見つめる。 「リリアの護衛になった日、僕は貴女の前で別人のように振る舞い、無言で後ろに下がることしか出来なかった。だから」 フィオンは真剣な瞳をシルヴィアに向ける。 「強くなってもう一度、シルヴィアを守りたいと思った」 シルヴィアの瞳が微かに揺れる。 そのまま、まるで時間が止まったかのように見つめ合った。 * * * ハドリーは木刀でフェリクスの稽古を付けていると、ふとフェリシア達の姿を目にする。 (稽古の最中だというのに、見つめ合っている、だと?) 「……ふざけるな」
するとシルヴィアは、騎士団の中にフィオンの姿を見つける。 久しぶりに見たフィオンはリリアの護衛となった時よりも背が伸び、凛としていて、かっこよくなっていた。 ふと、フィオンと目が合う。 けれど、話しかけることは出来ず、フィオンは視線を逸らし、シルヴィアの隣を通り過ぎて行く。 そのことで胸がきゅっと痛むもシルヴィアは、ベルと共に騎士長一行をハドリーとリゼルの待つ特別室へと案内した。 ベルと騎士長一行が特別室に入り、シルヴィアは廊下で待機する。 大丈夫だろうか……? 一人不安を抱いていると、特別室の扉が開き、フィオンが出て来た。 「ハドリー殿下が呼んでいる」 「あ、はい……」 フィオンと短いながらも会話が出来た。だが、昔のように名を呼んではくれない。 シルヴィアは複雑な気持ちを抱きながら特別室へと入る。 すると再び入室したフィオンによって扉を閉められ、ソファーに座るハドリーがこちらに視線を移す。 「先程、ベルとフェリクスから薬作りに関しての話を聞いた。そこでお前に一つ問いたい」 ハドリーの鋭い眼差しにシルヴィアの表情が強張る。 「騎士達の薬を作りたいか?」 その問いかけに、シルヴィアは両目を見開く。 (まさか、殿下に自分の意思を聞かれるだなんて…………) 初めてのことに内心動揺するも、シルヴィアはハドリーを強い眼差しで見つめる。 「はい、わたしで騎士達のお役に立てるならば、作りたい、です」 シルヴィアは息を呑み、ハドリーの答えを待つ。 「──ならば、シルヴィア、これより騎士達の薬を作ることを許可する」 (やはりだめ…………え?) 「よ、宜しいのですか……?」 「ああ、良いと言っている。何度も言わせるな」 もう一度、薬を作れる。 「殿下、ありがとうございます」 シルヴィアが優しく微笑むと、ハドリーはふいっと顔をそらし、フェリクスの方に目を向ける。 「薬は出来次第、リゼルより知らせる」 「了解した。薬は騎士の一人に取りに来させよう」 フェリクスはハドリーをじっと見つめる。
* * *その夜、シルヴィアはベルに付き添ってもらいながら書斎に伺った。動けるようになったので一人で平気だと伝えたものの、念の為とのこと。(今まではどんなに辛かろうとも一人で行ってきたのに……。ベルの優しい対応につい戸惑ってしまう……)「殿下、シルヴィア様をお連れ致しました」ベルが扉の前で伝えると、書斎の内側からハドリーの声が響く。「シルヴィア、入れ」「はい」シルヴィアは短く返す。するとベルが一歩前に出る。「扉は私が」ベルの手によって扉を開けられ、そのことに内心驚きつつも、お礼の会釈をし、書斎の中へと入った。ぱたん、と扉が閉まり、書斎の席に座るハドリーと目が合う。「あの、殿下……」「窓の近くまで来い」「はい」シルヴィアは言われた通り、窓の近くまでいく。するとハドリーが席から立ち上がり、窓のカーテンを開ける。夜空に美しく見事な月が浮かぶのが見えた。「わ、大きな月……」シルヴィアは声を上げると同時に、ハッと我に返る。(あまりにも美しくてつい声を上げてしまったけれど、殿下にじっと、見られているわ……はしたなかったかしら……)「体調の変化はあるか?」「いえ、特に何も……」「そうか」(……? 殿下、一体どうなさったのだろう?)疑問に思うと、ハドリーが息を吐き、真剣な眼差しでこちらを見据える。「陛下から、月には気をつけよ、とのお達しが出た」ハドリーの言葉に、シルヴィアは息を呑む。「その為、今後、夜に月を眺めること、及び、夜の外出を一切禁ずる。良いな?」「かしこまりました……」* * *そして3日を過ぎた午後のこと。邸宅に騎士長一行が再び訪れた。
「それが、お前の願いか」 ハドリーの声が静かに響き、頭上からカチリと剣を鞘から抜きかける音がした。 金属の冷たい擦れが、部屋の空気を鋭く裂く。 ————ああ。ついに斬られる。 シルヴィアは目を閉じ、死を覚悟した。 体が小刻みに震え、息が詰まる。だが、次の瞬間、剣が鞘に収まる乾いた音が響き、足音が近づいてくる。 ハドリーが膝を折り、目の前にしゃがむのが分かった。 「頭を上げろ」 低い、抑えた声。シルヴィアは怯えながら恐る恐る顔を上げた。 ハドリーの瞳はどこか優しげで、シルヴィアの胸がざわめく。 「斬られることがお前の願いだとしても、私はお前を斬る気はない」 ハドリは一瞬、視線を逸らさず見つめ返した。 真剣な眼差しに、シルヴィアは息を呑む。 「シルヴィア、お前こそが本物の聖姫なのだから」 「え……それは、一体?」 声が震えた。信じられない。 「亡妻ルーシャと共に月の下で聖姫の力を封印した————とお前の父、ラファルから聴取の際に聞いた。よって、お前には聖姫の力が宿っている」 「わたしに……聖姫の力が……?」 驚きと戸惑いが喉を締めつけた。世界が歪むような感覚。 「ああ。そして、お前は薬を作っていたそうだな」 「おとうさまから聞いたのですか?」 「いや、これはフィオンからだ。お前は気づいていなかったようだが、お前に聖姫に似た香りを感じたことがある。そして、時折微かに発光し、魔形に捕らわれた時には、いつにも増して発光していた。よって、薬を作っている際にも恐らく発光し、お前が作った薬や皇帝に飲ませた薬も聖姫の力が込められていた為、民や皇帝に効いたのだろう」 「そう……だったのですね……」 声が掠れた。 自分の体が、知らぬ間にそんな力を宿していたなんて。 「これも私の見解だが、聖姫の花に触れた際に発光と共に拒絶にも取れる反応を示したのは、恐らく、力が封じられているのが原因だろう」 「なぜ、お母さまとお父さまは……聖姫の力を封印したのでしょうか……?」 シルヴィアの声が、かすかに震える。 ハドリーは一瞬、目を
「どうかしたか?」 ハドリーが静かに問いかける。 「あ、もう大丈夫です……」 「そうか」 ハドリーは立ち上がり、湯気を立てるスープの器をテーブルに置き、再び椅子に腰を下ろした。 「これより、此度の件と皇帝の宴の真相について伝える」 「はい」 シルヴィアが小さく頷くと、ハドリーは淡々と語り始めた。 リリアはハドリーと自分が帝都へ偵察に行った翌朝、にその噂を耳にし、すぐに父に頼み込み、皇帝の元へ通達。こうして皇帝の宴に招かれることとなった。 だが、リリアはハドリーの美貌に心を奪われ心変わりし、シルヴィアを排除する為、継母が闇商人から入手していた魔法の呪いの粉をワインに混ぜた。 ところがメイドの誤りで、皇帝がそのワインを口にしてしまい、その後、シルヴィアが皇帝を救う姿を継母と目撃したリリアは、再び画策。 継母が同じ商人から手に入れた眠り薬を仕込んだ指輪を、父ラファルの贈り物と偽らせ、雇った者たちを通じてシルヴィアの手に渡るよう仕向け、攫わせ、継母と共に甚振って弱らせ、ゲートが開いていないのに魔形が偶然現れたことを利用した。 継母を守り、【本来自分のものだったはずのもの】を取り戻す為。そして本物の聖姫だと証明する為、魔形に差出し、更に、帝都の隠れ家で店員達が噂していた『魔形から身を守る高価な指輪』————その破片が庭に残されていたことで、リリアが黒幕である手がかりが掴めたとのことだった。 「それで、此度の罪についてだが」 シルヴィアはごくりと息を呑む。 「リリアが雇った者達、呪いの粉と指輪を継母に売った商人は永牢。リリア、継母、そして父ラファルは————アシュリー皇帝とお前を殺めようとした罪で、国外追放。一家離散となる」 ハドリーから意外な結果を聞き、シルヴィアは両目を見開く。 「あの……それは命は取られずに済んだということでしょうか?」 「ああ。死刑でもおかしくなかったが、皇帝が配慮してくれたそうだ」 安堵が胸に広がる。 自分のせいで誰かが死ぬのは嫌だから良かった。 けれど————リリアの護衛となったフィオンはどうなるのだろう? 「で、殿下、その……
ハドリーは氷のような眼差しでギリッと睨みつけ、静かに告げた。 「聴取は終わった。連れて行け」 その声に応じ、リゼルが扉を開ける。騎士達がラファルの両腕を掴み、無造作に立たせ、引きずるように連れ去っていく。 そして扉が閉まる音が響いた瞬間、ハドリーは右手で顔を覆う。 予感はあった。だが、シルヴィアの死を一番に願っていたのが実父だったとは。 それだけでなく、シルヴィアは聖姫の力を宿していた。しかし、封印されたままでは――。 ハドリーはふと視線を落とし、鞘を見つめる。 「……明日で期限の2日前か」 (シルヴィアが目覚めたその時は、覚悟を決めなければ) * * * 翌朝、シルヴィアはふと柔らかな陽射しを感じ、目を覚ました。 シーツの匂いは自分の部屋のものだ。包帯の感触が肘から肩へ、ぴったりと巻かれ、手当てもされている。 「……目覚めたか」 聞きなれた低く、冷たい声。この声は。 シルヴィアは隣に視線を移すと、月夜のように美しい長い髪を緩く一本の三つ編みにまとめ、肩から前に垂らしたハドリーの姿が目に映る。 シルヴィアは息を呑むも思わず口を開く。 「で……ゴホッ」 「大丈夫か? すまない、驚かせたようだな」 「で、殿下がここまで……?」 「ああ。馬車に乗せ、邸宅まで連れ帰った後、ここまで私が運んだが昨日は起きず、心配していたが目覚めて良かった」 シルヴィアは唇を震わせる。 「お手を煩わせてしまい、申し訳ありません……」 「いい。それより、ベルにスープを用意させた。食べられそうか?」 シルヴィアはコクンと頷くと、一人で起き上がろうとする。 するとハドリーが支え、起こしてくれた。 「あ、ありがとうございます」 シルヴィアがお礼を言うと、ハドリーは立ち上がり、テーブルから湯気の立つスープが入った器を手に取る。だが、渡す気配がない。 「あ、あの?」 「口を開けろ」 「はい」 言われた通り口を開けると、ハドリーがスプーンでスープをすくい、シルヴィアの口の中に入れる。 ――殿下が。







